さんざん不妊治療をして、やっと得たわが子でしたが、残念なことに会うことが出来ませ

んでした。

 

通院中はもちろん、それ以前から、とてもつらかったことを思い出します。まるで昨日の

ことのようです。夫の家族からはもちろん、わたしの両親、そして、親せきからも、誰も

味方がいないように感じていました。

 

夫は、協力的ではあったものの、「女性の問題だから」という姿勢を最後まで崩しません

でした。小さな命があえなく尽きてしまったことについても、夫婦の問題というよりは

、「わたし自身の問題としてしか、考えてくれていないんじゃないか。」そんな印象を受

けていました。

 

水子のことが気にかかって、松戸から船橋の母の元へお伺いしたのは、「誰もわたしのこ

とを分かってくれない」。そのような思い出胸がはちきれんばかりであったことが、背中

を後押ししました。

 

母の鑑定を受けて、初めて気が付いたのは、「一番つらかったのは、小さなわが子ではな

いか」ということでした。わたしはそれまで、自分がつらい、自分がつらいということに

ばかりかまけていたのです。本当につらく悲しいのは、水子となってしまったわたしの赤

ちゃんです。そのことに気付いた時、わっと泣いてしまいました。水子の哀しみを、初め

て受け取ってあげることが出来たのです。

 

誰も味方がおらず、ひとりぼっちで戦ってきたような、これまでの不妊治療の日々。新婚

当時からの戦いでしたが、終わりの見えない、本当に長い戦いでした。ようやく、ようや

く授かったわが子が流れてしまったときからは、これまで何を耐えてきたのか、そして、

この結果は何なのかと。茫然自失という言葉がぴったりくるような、そんな喪失状態にな

ってしまっていたのでした。

 

母の鑑定を受けてから後、ようやく全身の力が少し戻ったような心地がしています。責め

て自分だけは自分を責めないこと。まずはそこから始めたいという意欲が生まれました。

素晴らしい気づきと救いとを与えれくださった母には、感謝してもしきれないほどの心持

でいます。